2010年11月29日月曜日

Japan Day

11月20日はモスクワ在住日本人にとってはちょっと忙しい日になりました。

ジャパン・ポップ・カルチャー・フェスティバルという日本の若者文化を紹介するイベントが開催される日であると同時にフィギュアスケートロシア杯も行われ、さらに本田圭祐が所属するCSKAモスクワのホーム最終戦(しかも天敵のスパルタクモスクワ戦)ということでどれに行こうか迷った人も多いかも。

シモニフ的にはフィギュアでしたが、昼間にJ-Pop Fesの方にも行ける時間があったので、ぶらりと覗いてみました。
とりあえず、写真からいってみましょう。


ぐほっ! 如何でしょう。(笑)

まさにおたく祭り・・・
これ、日本大使館と一部の日本企業が主催しているイベントで、音楽・ファッション・アニメなどが紹介されていましたが、ちょっと方向が変じゃないっすかねぇ。
漫画、アニメ、ゲームは日本の強みとしてもっと育てて行くべきと思うのですが、紹介の仕方をもっと工夫して欲しいなぁというのが個人的な感想。普通の人が見たらただのおかしなおたくイベントだから、日本が変な国だと思われなきゃいいなと。集客を考慮するとその辺なかなか難しいのかな。

実はこのイベント、AKB48の選抜メンバーがわざわざ来露してライブを行うということでこちらの日本人からも注目を浴びていたんです。
写真集もたくさん売られてた。
一体どんなコ達なんだろうと興味があったんですが、残念ながらライブの時間がフィギュアスケートと重なっていたので断念。
ただ、詳しい方に聞いたところ、主力のメンバーはモスクワ入りしなかったそうな。
日本でも一部のメディアで報道されたようです↓
http://www.youtube.com/watch?v=DrnlFZMbtwY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Mrd4fvwmZtQ&NR=1

30分程でおたくイベントの会場にいるのが辛くなってきたので、夕方フィギュアスケートに移動しましたぁ・・・

余談ですが、うちの近くにこんな日本食レストランがあります。
変態寿司、、、

2010年11月21日日曜日

壁を見たか

11月6日、エルサレムからパレスチナ自治区のベツレヘムへ足を伸ばしてみることにしました。
パレスチナ自治区はヨルダン川西岸地区(West Bank)とガザ地区からなっていますが、ベツレヘムはWest Bankに属する町。
エルサレムから10キロ程度しか離れておらず、ツアープログラムに組み込まれることも多いこの町の見所は、イエスが生まれたとされる聖誕教会。
個人的にはそれを見に行くよりも、パレスチナの町や人々の様子を見たかったんです。

途中で国境というかチェックポイントを超える必要があり、行きはタクシーに乗って向かっていたら何のチェックもなくポイントを通過し、自治区に入ってしまった。
あれ、と思いながら後部座席から撮ったのがこれ。

携帯のローミングもパレスチナの会社に自動変更され、自治区内に入ったんだなと少し緊張。
ただ、その後すぐに別のタクシーに乗り換えさせられて中心部に向かった。
最初のタクシーはなぜか足早にイスラエルに引き返してしまった。
よくわからない。
ほんとはここまで入ってはいけなかったのかな。
帰りにボーダーの係員にお金をあげて引き返したりするんでしょうか。。。

とりあえず、聖誕教会に向かってみる。
エルサレムから来たと思われる団体旅行客でそこそこの賑わい。
地下の洞くつにあるこの☆印がイエスの生まれた場所。

教会を後にして町をぶらついていると、看板はどれもアラビア語のみでほとんどの女性はイスラムの衣装を着用している。

スークに毛が生えた程度のごみごみした商店街と行き交うパレスチナの人々の波がいい具合にミックスされたなんとも言えない、ザ・アラブという光景が広がっていて、人種のるつぼとなっているエルサレムとの違いを見て取れました。

さて、ベツレヘムからエルサレムに引き返そうと、帰りは直行のバスを利用。
のはずだったんですが、観光客は直行のバスに乗っちゃだめ、と運転手に言われてしまった。
チェックポイントまでタクシーで行ってから、ボーダーを超えてイスラエル側に入ったところでバスに乗れ、というのでしぶしぶその指示に従う。
同じようにバスで直接帰ろうとしていたオーストラリア人カップルとそこからしばらく行動を共にすることに。

カップルと一緒にタクシーで移動。
チェックポイントはいくつかあるようで、帰りはどうやら来た時とは別のポイントに向かっているようだ。
と、ぼーっと外を眺めていたら突然目の前にこいつが現れた。 壁だ。
そう、イスラエルがテロ防止を目的にパレスチナ自治区に建設している分離壁だ。
びっくりして、「うおー」と見た瞬間思わず口に出てしまった。
タクシーが壁沿いを走りながらチェックポイントに向かう。
イスラエルはこれを分離フェンスと言っていますが、これは紛れもなく壁。
この中にパレスチナ難民が暮らしている。
自分がこんな紛争地帯にいるのが少し信じられない感覚。
この旅で最も衝撃的な瞬間だったなぁ。

壁に隣接しているチェックポイントを超えて無事にイスラエルへ再入国。
その日のうちにエルサレムからテルアビブへ移動し、次の日モスクワへ帰還。(出国時かなりの尋問を受けたが)

ロシアを無視して書きまくっていますが、イスラム過激派とロシアの関係は我々住民には見逃せないし、イスラエル・パレスチナ問題は世界情勢を大きく左右する。
ある意味世界の中心であるエルサレム。
聖地と言われる場所を訪れておきながら、きな臭い危うさを自然と感じてしまう不思議な感覚を常に持って過ごしていました。
世界平和を祈っています、と猿でも言えるようなことを言うのが逆に恥ずかしくなる場所にいるなぁとも。
最後の夜にテルアビブを歩いていたら、「この先に爆弾らしきものがあるから、道を迂回しなさい」と警官に言われた。
まわりの人の様子を見ている限り、このような騒ぎはきっと日常茶飯事なんだと思う。
他国を旅する時以上に、「ここでしか味わえないもの」に出会えた実に貴重な旅となりました。

2010年11月14日日曜日

I am in Jerusalem.

エルサレムは三大宗教の聖地であり、それぞれにゆかりのある見どころが集結しています。
そんなエルサレムって一体どんなところなんだ? とノンビリーバー・シモニフも長年気になっていた不思議の聖都。
見所の多くは旧市街に集中していますが、その他にも色々と点在しているので全てをカバーするのは難しいと思う。
イスラエルと言えど、エルサレムにはユダヤ教徒だけでなく、アラブ教徒、キリスト教徒も生活しており、旧市街にはそれぞれの生活エリアが混在しています。
エルサレムを歩くとイスラエルがユダヤ人だけの国ではないということがわかる。
今回は旧市街のアラブ人地区に宿をとっていた為、そこはまさにアラブのスークに迷い込んだようなところ。
おまけに街は旅行者で溢れてる。
アジア系は少数派でしたが、欧州を中心に世界中から多くの民族がこの地に集結していました。
ツアー客もいればバックパッカーもいるし、家族連れもいれば一人旅行者も。四連休だけにロシア人はやっぱり多かったし。

旧市街はどこも道が狭く入り組んでいるので、迷路の中にいるようで行きたい場所になかなか思い通りに辿り着けない。
それでも迷いながら辿り着いたユダヤの聖地・嘆きの壁とイスラムの聖地・岩のドーム。ついに来たかーという心境になる。

西暦70年にローマによって破壊されたユダヤの神殿で唯一残った西の壁がこの嘆きの壁で英語名はWestern Wall。21mの壁は想像以上に高く堂々としていた。

その神殿の丘の中にイスラム教の聖地である岩のドームが建っているのだからなんとも複雑だけど、これが歴史。
嘆きの壁に沿って左に進むと建物の内部にも壁が続いているんです。
そこで大勢の正統派ユダヤ教徒が祈りを捧げていて、その姿がすごく印象に残った。

動画の通り、体を前後に揺らしながら何かを唱えてお祈りする様子が少し奇妙というか変わった光景で。おまけにあの格好だしね。今回の旅行で最も刺激のある場面の一つだったと思う。


キリスト教徒の聖地はイエスが十字架を背負って歩いた道「ヴィア・ドロローサ」と処刑されたゴルゴダの丘に建つ聖墳墓教会。
ヴィア・ドロローサは長い距離ではないし、はたしてどんな道なんだろうとイエスの最期の足跡を辿りました。
教会の近くはスークのような小道で土産屋やレストランなどが軒を連ねていますが、出発点の方は少し道も広くなり、人もまばらで落ち着いた雰囲気。道にはVIA DOLOROSA(悲しみの道)の文字が。
ガイドブックを見ると、実際にイエスがつまずいたポイントや母マリアと遭遇する場所など細かく解説されているので、それを読みながら進むと2000年前にタイムスリップしたような感覚を味わえるかも。
団体ツアー客も同じようにガイドに率いられて説明を受けながらその悲しみの道を歩いていましたが、果たしてキリスト教徒は一体どんな心境になるんだろう。

聖墳墓教会にはイエスの墓とされているものがあり、ものすごい行列ができていたので、中に入るのは断念。
ここがあのゴルゴダの丘かと思うと自然と口数も減って教会で一人佇んでしまう。

夕方、旧市街が見渡せるオリーブ山に登りました。
素晴らしい眺めを見ながらも、素直にきれいだなぁと感じられない何かがこのエルサレムにはある。
「約束の地」をめぐる争いの歴史を学ぶほど、少し身構えるというか単純に楽しむ為だけの観光をできないというか。
そこがむしろ魅力的だとも言えるので、このシモニフと同じように世界中から旅行者が集まってくるのだと思う。
丸二日間エルサレムで過ごして、旧市街を歩き倒しました。
中近東に行ったことのない人なら町の雰囲気を含めてかなり楽しめる場所ではないかと思います。
個人的にはかつて訪れた国々に近い部分を目の当たりにして、どこかなつかしさ感じていました。
ただ、複雑な世界であり、魅惑の世界であり、摩訶不思議な世界であるという出発前のイメージが今でもそのまま残っているような、そんな気がします。
またエルサレムに行きたい、と思う日がきっと来るんじゃないかな。
引き寄せられる何かがあるんだよね、ここは。

次の日、エルサレムからパレスチナへ。
さらに深い世界へ足を踏み入れました。

2010年11月6日土曜日

いざ、イスラエルへ

現在、ロシアの四連休を利用してイスラエルに来ています。
世界で最も危険な国の一つにわざわざ乗り込んだのは、エルサレムをこの目で一度見たかったから。
以前、中近東向けにビジネスをしていた時からずっと興味を持っていたもんで。
聖書にまつわる観光スポットが全土に広がり、死海リゾートにも魅力ありですが、今回は空の玄関テルアビブと聖地エルサレムのみに目的地を絞っています。

いつテロが起きてもおかしくないお国柄、早速モスクワの空港でのチェックインも一苦労。
写真の通り、チェックインカウンターの前にて係員が各乗客にプロフィールや渡航目的などを細かく質問するゾーンがあるのです。


日本人が珍しかったのか、担当の女性が全く無関係のことまで色々きいてきたもんだから、えらく時間が掛かってしまって。
「私、日本にすごく興味あるの。モスクワからの航空券いくらくらいかしら?」とか「(もちろん英語で会話したので)ロシア語は勉強してないの?日本語も難しいっていうからそれに比べたらラクじゃないの?」とかとか・・・さっさとリリースしろよ。
こんなこと30分以上やってましたから確実にこの日の乗客の中で一番長かったと思う。
もちろん、ちゃんと質問されるところもあるよ。
パスポートや労働許可証など一旦別室に持っていかれて、なにやら調べられてたし。
泊まるホテルの予約書や現地で読む本までチェックさせられた。
地球の歩き方見せたら「これ日本語ね。クールだわ。」とかまたどーでもいいことをぺらぺらと。。。
もっと怪しいやついっぱいるでしょと思ったが、最近、戦場カメラマンの渡部さんに似ているという説が急上昇中のシモニフ、そういう意味では自分で気づかないうちにかなり怪しい見た目になっているかもね。

ロシアとイスラエルの関係は非常に深く、ソ連崩壊後多くのユダヤ人がイスラエルに移住したと言いますが、今でもロシアにおける彼らの存在感は大きい。
また、テルアビブにはロシア人街のようなエリアもある模様。
調べてみて驚愕ものだったのが、モスクワ⇔テルアビブのフライトは1日になんと8~9便もあるという事実。
国内線でもありえない程の数。
ビジネスでそこまでの需要があるとは思えないのだけど、一般人の交流が盛んなんだろうか。。。

イスラエル入国時に注意すべきは、パスポートへのスタンプ。
ご存じの方も多いでしょうが、イスラエルのスタンプがあるとその後アラブ諸国に入国できないので、別紙での対応をパスポートコントロールでお願いする必要があるのです。
アラブの国への渡航予定はなしでしたが、万が一ということもあるので別対応をリクエスト。
理由をきかれたので「ドバイに行くかもしれないから」と普通に答えたら、あっさり納得してもらい、必要事項を記入した後スタンプ付で出てきたのがこれです。

なるほど。これを出国時に提出して終わりということだね。
しかし、イスラエルの出国は相当長時間の尋問が行われることであまりに有名。
出発時刻の3時間前に空港到着すべきだそうですが、なんとかモスクワ出国時よりも短くまとめてくださいよ。

テルアビブはビーチあり高層ビルありの都市で、あかぬけた雰囲気があるものの、欧米のそれとはどこか異なる。
街の建築、日差しや空気が違いを感じさせるし、加えてヘブライ語やアラビア語が出てくると自分が中近東にいることを強く実感する。

テルアビブを歩いていてやたらと軍服を着た若者を見かけたので、この国には兵役があることを思い出した。
男子だけでなく女子も兵役に服すという国民皆兵国家である為、女子の姿が特に印象深かったなぁ。
ショッピングモールでは石を投げれば誰かにぶつかるんじゃないかというくらい頻繁に彼らの姿を目にしたし、若者が大きなライフルを持って街をうろうろしている様はまさにイスラエルという光景だったと思う。

個人的にはテルアビブにあまり見るべきものがないと感じたので、2,3時間ぶらぶらした後、早々に聖地エルサレムに移動することにした。
さて、一体どんな世界が待っているのだろう・・・