エルサレムは三大宗教の聖地であり、それぞれにゆかりのある見どころが集結しています。
そんなエルサレムって一体どんなところなんだ? とノンビリーバー・シモニフも長年気になっていた不思議の聖都。
見所の多くは旧市街に集中していますが、その他にも色々と点在しているので全てをカバーするのは難しいと思う。
イスラエルと言えど、エルサレムにはユダヤ教徒だけでなく、アラブ教徒、キリスト教徒も生活しており、旧市街にはそれぞれの生活エリアが混在しています。
エルサレムを歩くとイスラエルがユダヤ人だけの国ではないということがわかる。
今回は旧市街のアラブ人地区に宿をとっていた為、そこはまさにアラブのスークに迷い込んだようなところ。
おまけに街は旅行者で溢れてる。
アジア系は少数派でしたが、欧州を中心に世界中から多くの民族がこの地に集結していました。
ツアー客もいればバックパッカーもいるし、家族連れもいれば一人旅行者も。四連休だけにロシア人はやっぱり多かったし。
旧市街はどこも道が狭く入り組んでいるので、迷路の中にいるようで行きたい場所になかなか思い通りに辿り着けない。
それでも迷いながら辿り着いたユダヤの聖地・嘆きの壁とイスラムの聖地・岩のドーム。ついに来たかーという心境になる。
西暦70年にローマによって破壊されたユダヤの神殿で唯一残った西の壁がこの嘆きの壁で英語名はWestern Wall。21mの壁は想像以上に高く堂々としていた。
その神殿の丘の中にイスラム教の聖地である岩のドームが建っているのだからなんとも複雑だけど、これが歴史。
嘆きの壁に沿って左に進むと建物の内部にも壁が続いているんです。
そこで大勢の正統派ユダヤ教徒が祈りを捧げていて、その姿がすごく印象に残った。
動画の通り、体を前後に揺らしながら何かを唱えてお祈りする様子が少し奇妙というか変わった光景で。おまけにあの格好だしね。今回の旅行で最も刺激のある場面の一つだったと思う。
キリスト教徒の聖地はイエスが十字架を背負って歩いた道「ヴィア・ドロローサ」と処刑されたゴルゴダの丘に建つ聖墳墓教会。
ヴィア・ドロローサは長い距離ではないし、はたしてどんな道なんだろうとイエスの最期の足跡を辿りました。
教会の近くはスークのような小道で土産屋やレストランなどが軒を連ねていますが、出発点の方は少し道も広くなり、人もまばらで落ち着いた雰囲気。道にはVIA DOLOROSA(悲しみの道)の文字が。
ガイドブックを見ると、実際にイエスがつまずいたポイントや母マリアと遭遇する場所など細かく解説されているので、それを読みながら進むと2000年前にタイムスリップしたような感覚を味わえるかも。
団体ツアー客も同じようにガイドに率いられて説明を受けながらその悲しみの道を歩いていましたが、果たしてキリスト教徒は一体どんな心境になるんだろう。
聖墳墓教会にはイエスの墓とされているものがあり、ものすごい行列ができていたので、中に入るのは断念。
ここがあのゴルゴダの丘かと思うと自然と口数も減って教会で一人佇んでしまう。
夕方、旧市街が見渡せるオリーブ山に登りました。
素晴らしい眺めを見ながらも、素直にきれいだなぁと感じられない何かがこのエルサレムにはある。
「約束の地」をめぐる争いの歴史を学ぶほど、少し身構えるというか単純に楽しむ為だけの観光をできないというか。
そこがむしろ魅力的だとも言えるので、このシモニフと同じように世界中から旅行者が集まってくるのだと思う。
丸二日間エルサレムで過ごして、旧市街を歩き倒しました。
中近東に行ったことのない人なら町の雰囲気を含めてかなり楽しめる場所ではないかと思います。
個人的にはかつて訪れた国々に近い部分を目の当たりにして、どこかなつかしさ感じていました。
ただ、複雑な世界であり、魅惑の世界であり、摩訶不思議な世界であるという出発前のイメージが今でもそのまま残っているような、そんな気がします。
またエルサレムに行きたい、と思う日がきっと来るんじゃないかな。
引き寄せられる何かがあるんだよね、ここは。
次の日、エルサレムからパレスチナへ。
さらに深い世界へ足を踏み入れました。
2008年3月3日にロシアに降り立った江戸っ子シモニフによる楽しくて為になるロシア紹介ブログです。ある時はモスクワのクレムリン、ある時は-50℃のシベリア、そしてある時は中央アジアやコーカサスへも足を伸ばして面白い世界を届けます。表から裏の裏までロシアンマフィアにヤられない程度に大胆で痛快なロシア生活を綴ります。
2010年11月14日日曜日
I am in Jerusalem.
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2 件のコメント:
イスタンブールもいいよ!
いまいちそそられないんだよなートルコは。年末は日本に帰国する前にロンドン訪問を目論んでいます。
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