2009年3月16日月曜日

コニャックに願いを

アルメニア旅行では、おいしいフルーツジュース、ワイン、コニャックを堪能したい。

これが最大の目的だったので、夜は色々買い込んでホテルの部屋でみんなで宴会。

一番良かったのは100%のザクロジュース。
めちゃくちゃ美味かった。
1リットル300円で買えるという安さにも感動。
ザクロはアルメニアのシンボルだ、と地元の人が言う程アルメニアではメジャー。
ロシアで同じジュースを買えば3倍するんです。
日本だともっと高いんじゃないかな。

アルメニアのワインはグルジアと同じくスウィート系の方が高価みたい。
アルメンさんにおごってもらったワインは凄くイケて、グイグイ飲み過ぎて危なかったよ。
スーパーでザクロワイン(上の写真の右)というのを発見したので、それを買って飲んでみたものの、これはいまひとつ。普通のワインがいいです。

旅の最終日はコニャックの日でした。
アララトという有名なコニャックのブランドがあるのだけど、その工場見学ツアーに参加したんです。
たくさんの樽が並んだ見学コースを歩きながら、作り方やアララトブランドの逸話などの説明を受けました。
ツアーの最後に3種類のコニャックを試飲する機会があり、3年・10年・20年もののコニャックを少しずつ堪能。
コニャック慣れしていないので、3年ものが一番マイルドで飲みやすかったね。
アララトのブランデーグラスは写真の様に横に寝かせても液体がこぼれず安定した状態を保つことができるんです。もちろん量が多ければこぼれるけど。

コニャックというのは、「フランスのコニャック周辺で生産されるブランデー」を意味するのが一般的のようで、そういう意味ではこのアララトはコニャックではなくブランデーと呼ばれるべきなのかも。
ロシアではコニャックがブランデー全てを指す単語となっているので、フランスはロシアにブランデーを用いるよう求めているんだとか。

見学コースの途中にいくつかの国旗とそれに囲まれた一つの樽が。
これはナゴルノ・カラバフ問題が解決された時に初めて日の目を見る予定のコニャックなのだそうです。
ナゴルノ・カラバフとは、アゼルバイジャンの山岳地帯に位置する自治州。住民の大半を占めるアルメニア人が自治州のアルメニアへの帰属を主張し、アゼルバイジャン人との民族紛争が勃発。現在アルメニア人の占領下にありますが、今も未解決の民族問題で、アルメニア外交上の最大の課題とされています。

国旗の一つがアゼルバイジャンのものですが、ここはアルメニアにおいてアゼルバイジャンの国旗が掲げられている唯一の場所なのだそうです。
樽や周りの壁には平和へのメッセージが所狭しと書かれていました。

アララトという名前はもちろんあのノアの箱舟で有名なアララト山から名付けられたものだけど、天気が良かったこの日は工場の出入口付近からアララト山を一望することができました。
写真では少しわかりづらいけど、すごくきれいで存在感のある山。

このアララト山、古くからアルメニア人が住んでいた地域の中心であり、アルメニア民族のシンボルとされるものの、ここは現在トルコ領となっています。アルメニアはこの国境を承認しておらず、トルコとの間にあるアルメニア人虐殺問題という非常にタッチーな問題とあいまって両国は対立を続けています。

とにかく、このアララト山はアルメニア人の誇りとして今も民族の中心に存在しているのは間違いありません。

現地の人達とアゼルバイジャンやトルコの話をすることはありませんでしたが、アルメニア人の民族性を肌で感じ、少しは理解を深めた身としては、それぞれの問題が平和的に解決されることを願わざるをえません。

2009年3月8日日曜日

アルメニアのアルメンさん

先日、ロシアの3連休を利用してお友達と4人でアルメニア旅行に行ってきました。

アルメニア、、、どこそれ。何があんの?
ですよね。

アルメニア共和国はコーカサス地方に位置する人口300万人の小さな国。

まずアルメニアで思い浮かぶのは、ノアの箱舟が辿り着いたと言われてるアララト山。
標高5,137mの大きな山でどことなく形が富士山に似ているので、我々としてはすごく親しみを感じる山。

また、アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教としたことで有名。
アルメニア正教会の総本山であるエチミアジンは世界遺産で一番の観光名所かも。

主要な産業は、農業・宝石加工。
綿、ぶどう、野菜の栽培が盛んで、ワインやコニャックは有名。
でも、現地の人に主要な産業は何かと尋ねたら「何もありません」て言われた。。。

とりあえず、個人的には、おいしいフルーツジュース、赤ワイン、コニャックを味わうこと、アララト山を拝むことが今回の旅行の目的でした。

ところで、
わたくしの会社の同僚にアルメニア人のおばちゃんがいるのだけど、何も言わずに行くのもなんなので、出発前日に「明日からアルメニア行くんだぁ。」と伝えたんです。

今思えば、これがアルメニアでの全ての行動を決めた瞬間でした。

そのおばちゃん「もっと早く言ってくれれば色々アレンジできたんですけどねぇ。」と言いながらも、なにやらロシア語じゃない言葉で電話で話を始めたから、どうやらアルメニアに電話をしている様子。当然こっちは何もお願いするつもりはないし、ただ行ってくることを伝えたかっただけ。

そしたら数分後、
「シモニフさん、空港からホテルまでの送迎アレンジしましたから。えー、それから、次の日の観光、こことこことここ、まわれるように言っておきましたから。私の弟アルメンが全部やりますんで。ほんと大丈夫ですから。全っ然、問題ないですから。」

おいおいおいおい、そういうつもり全く無いんだけどなぁ。
そこまでしてもらっちゃうと逆に申し訳ないっていうか、ちょっと困るわ。
そんでもって、弟の名前もアルメンて。。。(笑)

ま、本当にアルメンさんに観光までお願いするかどうかは、実際に現地で話をして決めればいいか、と思ってその同僚にはサンキューと伝えて、いざアルメニアに向かうことにしました。

次の日、飛行機でアルメニアの首都エレバンに到着しゲートを抜ける際、シモニフの名前が書かれたボードを持つ男を発見。

アルメン登場。

しかも、その周りには彼のお友達含め合計4人も出迎えに来てるよ。。。
なんなんすか、この厚遇は。

車2台(セダン)でホテルまで直行。
一休みした後、エレバンの町の中心を歩いて案内してくれました。

空港からエレバン中心までの町並みは10年前のロシアの田舎町といった感じで結構寂れていたのだけど、中心地までくると人通りも多くてきれいな感じに。
アルメニアで採れるきれいなピンクの石を使った建物が印象的。
でも、ロシアの地方都市の域を出ない程度のもので、首都がこのレベルということはあまり国力のない、非常に小さな国なのだなと思いました。

でも、居心地はなぜがすごく良い。
ロシア人よりも笑顔をたくさん見せてくれたから。
あとは、アルメンさん達がすごく親切に案内してくれたからかな。

夕食は自分達で食べようと思っていたのだけど、当然誘われるわけさ。
「自分達だけで食べますよ。ディナーまで付き合ってもらうもの悪いから。」
と言っても、全然ダメ。
「折角わざわざアルメニアまで来てくれたのだから、我々がおもてなししないわけにいかないよ。一緒に食べましょう。さ、入ろう入ろう。」
みたいな感じで断りきれず、贅沢な料理を山ほど食べて、ワインやウォッカをガブ飲みしたわけです。
結局、お金も払わせてくれなくてさ。
ほんと申し訳ないくらいに接待してくれちゃって弱った。
会社の同僚の身内だからね。

次の日は丸一日観光予定で、行きたいところをみんなで相談した結果、彼らが案内しようとしている場所と重なっていたから、これまた断れず彼らのお世話になることを伝えて初日終了。

次の日、ホテルのロビーで彼らと落ち合って車に向かっていた時、眼の前に現れたのが、なんと10人乗りくらいのバン。
おれらの為にわざわざレンタルだよ。

さらに、
グッード モーニン♪
という美声が背後から。

なんと、英語を話す美人ガイド登場。

おーーーい、
そりゃーちとやり過ぎちゃうかぁぁぁ。

ほんとに彼らのホスピタリティーには頭が下がる。
アレンジのみならず、観光中もこちらが楽しめるように解説を加えてくれたり買い物に付き合ってくれたりと、常にケアしてくれる温かい気遣いがある点、恐縮してしまう程だったけれど、本当にありがたいものでした。

もしかしたら、同僚のおばちゃんからアルメン軍団に対して、シモニフ歓待指令があったのかもしれない。
でも、それにしてもそこまでやらなくても、っていう程のVIP待遇。
客をもてなすマインドが根本的になければ難しいと思うね。
我々の中では、アルメニア人はサービスの民族だという結論に至りました。

世界遺産・ガルニ神殿で遠くを見つめるアルメニアのアルメンさん。

ありがとう。

2009年2月27日金曜日

ボリショイ鑑賞・感動

ロシアバレエの殿堂
国立ボリショイ劇場に行って参りました。

1776年設立とボリショイの歴史は古く、ホームページを覗くと233 seasonの表示が。

ボリショイ劇場は管弦楽団とバレエ団を有していますが、ボリショイが世界有数の劇場となったきっかけはロシア革命だそうです。ソ連の国立劇場となり国からの援助を受けることできたことと、モスクワ遷都によりそれまでの中心であったペテルブルクからダンサーが流入し後進が育成されたことで、ボリショイ・バレエ団の名声が国際的に高まっていったと。

老朽化が進んだ劇場の修復の為、2005年から本館の工事が行われていますが、現在も写真の通りカバーが掛けられた状態で工事が続いています。(この日すげー雪降ってた)

毎年のように完成時期が延期となり、先日の発表では結局2013年に完成予定となったらしい。
なので、残念ながらこのシモニフ、本館に入れずロシア生活を終えることになりそうです。
そんなに長期間どこ修復してんだよって思うけど、ロシア的には13年に完成しているかどうかも怪しいもんだわな。。。

ということで、今回は2002年に建設されたボリショイ劇場新館での公演を観たわけです。
本館は内装が全面赤一色で客席が6階までという大きくて高級感のある劇場だったそうですが、新館は3階建てで緑の内装。それ程大きくないので、一番奥の席でもがっかりする程のことはないんじゃないかなと思う。

今回観劇したものはチャイコフスキー云々の有名なものではありません。
第1部は普段の練習風景を作品にしたようなもので特にストーリーがあるものではなく、第2部もよくわからないストーリーがありそうでないような適当な演目だったようです。

正直あまり期待しておらず、「初ボリショイ」が目的だったのだけど、これが期待をはるかに超えるものでマジ驚いた。

第1部、凄かった。
凄くいい。

Class Concertと題した第1部は普段の練習を作品化したということで、ダンサーが次から次と出てきて色んな技が披露されるもんだから、観客を飽きさせない。釘付けになる。

具体的に説明するのが難しいのだけど、着地一つとってみても、ジャンプからの足の持っていき方や次の動きへの連動を意識した着地時の体のバランス、自然な流れで美しく表現するダンサー達の姿に感動。ほんとに素晴らしい瞬間には鳥肌が立ったし。

席が前から2列目という絶好の場所だったので、臨場感がハンパなかったし、バレエがどれだけ筋力・体力を使うものかすごくよくわかった。

踊ってみたい!(笑)

練習着そのままなので衣装も通常のバレエ作品と異なります。
写真の通り、色としては白・青・緑でしたが、実際の練習では特に色の指定はないみたい。
ストーリーものの衣装以上に体のラインがはっきりしていて動きがわかるので、それもまた良い点でした。
劇中に写真撮影できないので様子をお伝えできないのが非常に残念。

なお、前回「白鳥」を観にいった時に思わず目が行ってしまった男の「もっこり」。
今回はあまり気にならなかった。というか前回よりもっこりしてなかったような気が。
でも、写真で見るとそんなこともないか・・・
見慣れたかな。(笑)

逆に気になってしまったのが、ケツの食い込み。(笑)
割れ目に思いっきりタイツが食い込んでいるのです。
おしり丸見え以上に丸見えだったような印象があるくらい。

とにかく、さすがボリショイ、バレエというショーの素晴らしさ、ダンサーの力強くも美しい動きに魅了された一日でした。

こりゃ、シモッコリニフとか言ってる場合じゃないな。

2009年2月8日日曜日

Fed Cup

女子テニスの国別対抗戦、それがフェドカップ。

本日、ロシアVS中国の試合、観に行ってきました。

昔のトーナメント方式と違って今はグループ方式を採用していて、ロシアは上位8カ国が集まるワールドグループⅠに所属しています。 今日はその1回戦です。

ロシアは2007・2008年とフェドカップ2連覇中で、今年3連覇を狙ってます。
シャラポワが故障中の今でさえ、世界ランキングトップ10に5人のロシア選手がいるわけだから、そりゃ強いわけなんだけどさ。

1日目にシングルス2試合、2日目にダブルス1試合・シングルス2試合、合計5試合で勝敗を決めるのだけど、今日は1日目の2試合。

会場はオリンピックスタジアムというところで、ここではスポーツイベントだけじゃなくてコンサートなんかもしょっちゅうやってます。
チケットを事前に買わなかったので、現地で入手しようと売場に直行。

列に並んでいると、どこからともなく現れたおっさんが話しかけてきました。
そう、ダフ屋っす。
「150ルーブルの席、100ルーブルでいいよ。」とぼそり。

定価よりも安くしてどうすんだよと思うけど、それより定価自体も安すぎるだろ、それ。
ルーブル暴落中につき、100ルーブルって言ったら、約250円よ。
怪しいなぁ~、と思いつつもまぁ安いからいいか、ということでダフ屋チケットにて入場。
問題なく観戦できました。

会場内にはフェドカップのオフィシャルショップもあるんだけど、道端の露店がそのまま入り込んできたようなロシアグッズや飲食物の売店もあって、いかにもロシアだなぁっていう感じ。
会場の外ならわかるけど、こんな奴中に入れていいのかよ、ってツッコミたくなるよね。
あと、写真撮り忘れたけど、笑顔のアガシがでかでかとプリントされたデザイン的にはへヴィメタル風なTシャツなんかも売ってて笑わせてくれたよ。
メガデスかお前は、みたいな。

で、試合ですけど、
今日は世界4位のディメンティエワと7位のクズネツォワを観戦できました。

ディメンティエワの方がかわいいし、ランキングも上だから注目してたんだけど、プレーだけでいくと個人的にはクズネツォワの方が魅力的だったね。
体重が乗ってる、軸がぶれない、あたりが厚い。
サービスの時の体のひねり方も非常に良かったね。セカンドはかなりスピン効いてた。

ディメンティエワは球筋がよりフラットで速いけど結構ミスが多くて、ボールのラケットへの食い付きがプロっぽくないというか、なんとなく自分に無いものを持ってる感じがしないというか。(笑)
打つ時にいちいち「ほうっ!」って言うのもいまひとつだったし。

ちなみに勝敗はもちろんロシア2勝でした。

それにしても、最近のテニスはほんとパワーテニス。
マッケンローとかエドバーグみたいにガットが緩めの選手ってあんまりいないんだろうな。(古いか)
緩急をつけて美しいテニスをしてくれる選手には最近なかなかお目にかかれませんね。

ところで、このオリンピックスタジアムという会場。
すごく広いんだけど、この日は会場の1/4くらいしか使っていなかったので、席はかなり後方だったものの、見やすくて良かった。

観客の一部に応援団がいて、
「ローシーア!、ローシーア!」って旗振りながら応援してるんだわ。
日本で言えば、バレーボールの「ニッポン!チャチャチャ!」のノリが近い。
やっぱこういう試合だとホームコート・アドバンテージってあるんだなぁと。

でも、驚いたのは中国応援団も微妙にいたこと。
たまに声援送ってたけど、後で殴られたりしないのかなぁ、ってちょっと心配でした。

ま、そういうシモニフも今日は間違いなく中国人と思われてただろうけど。

2009年1月31日土曜日

モスクワの治安

先日、日本大使館からかなり怖いお知らせが。

ここ1ヶ月の間に、モスクワにおいて民族的偏見に基づくと思われる非スラブ系人種に対する襲撃事件が頻発していると。

そのまま引用すると、

① 12月14日(カザフスタン人留学生・18歳男性):バス停で何者かに刺され、病院への搬送途中に死亡。
② 1月3日(韓国人留学生・女性2名):大学学生寮付近で、見知らぬ者から揮発物(液体)をかけられた後、火をつけられた。1名は頭部・背中に重度の火傷、1名は軽い火傷を負った。
③ 1月8日(中国人留学生・2名):路上で見知らぬ数名から襲撃を受け刺され負傷。
④ 1月9日(ベトナム人留学生・20歳男性):駅付近で胸と胃を刺された状態で発見され、搬送先の病院で死亡。
⑤ 1月10日(カメルーン人・28歳男性):路上で3人組から襲撃を受け刺され、搬送先の病院で死亡。
⑥ 1月11日(カルムイキア共和国出身・16歳学生):路上で3人組に襲撃され重傷を負った。
⑦ 1月11日(タジキスタン人・2名):路上で若者グループに刺され重傷を負った。

液体攻撃とかやめてよ、ほんとに。
ナイフも反則でしょ。

でも、日本人の被害例はないじゃん。
と見せかけて、
11日には大使館職員が5,6人の集団に襲われ重傷を負っていて、これは日本の新聞にも載ったはず。

普段、公共交通機関を利用しないので、被害に遭う可能性が低いとは言え、物騒な世の中になってきたのだなあ、と理解して行動しないといかんね。

写真は同僚のロシア人と一緒に地下鉄を利用した際に撮った駅のプラットフォームの様子。
普段地下鉄を利用する邦人のお友達も、夜間の乗車は避けた方がいいと言ってます。

モスクワ市内務総局は、「警察への緊急通報は、最近英語のオペレーターによる応答サービスを開始したばかりでなく、通報を受けて出動した警察官には通報から3時間以内にどのように対処したかを報告することが義務付けられているので、何かあれば躊躇することなく通報をしてほしい。」としていますが、悪徳警官だらけの警察がそこまで対応できるかどうか。。。

最近のこの治安悪化は、不景気の影響があると言われています。

世界的な景気悪化はここロシアも例外ではなく、昨年途中までのイケイケムードはなくなってきました。
町を見回す限りは、消費が冷え込んだとか物価が急変したとかあまり感じられないけれど、経済指標や企業業績にはしっかり表れ始めています。

クビにされたり、減給されたり、会社がつぶれたり。。。
はけ口としての行動がこのような襲撃や窃盗・強盗になってしまうというのは、ロシアだけではないのかもしれないけど。

自分の身は自分で守るべく、サンボ教室に通いたい最近のシモニフです。

2009年1月18日日曜日

『戦艦ポチョムキン』

って映画知ってます?
1905年に起こったポチョムキン号の反乱を題材にしたソ連映画です。(1925年作)

1917年のロシア革命で崩壊する帝政ロシアですが、1905年から本格的な反乱がロシア国内で勃発しており、このポチョムキン事件もその一つ。
この年に各地で起きた革命は都市部と農村部とで発生時期がバラバラだったから、とか、軍が基本的にツァーリ(帝政時代の君主)に忠実だったから、との理由で結局失敗に終わりますが、17年への影響は少なからずあったんでしょう。
映画はロシア革命への先導者として反乱を起こした水兵達を称える内容になっています。

なんでこんな話をしてるかというと、先週ちらっとウクライナの港町オデッサに行ってきたんですが、この映画の舞台がオデッサなんですわ。

雰囲気伝わりづらいと思うけど町はこんな感じ。
中心部は石畳の道路でなかなか雰囲気いいですよ。
実は数年前に仕事でオデッサに来たことがあったので、町を歩くうちに前回泊まったホテルの場所や港の桟橋の記憶がフラッシュバックして蘇ってきて、すごく懐かしかった。
でも、ずっと外にいたから寒くて仕方なかったな。
ビーチもあって夏はリゾート地として混雑しますが、今の時期は寒くて正直観光どころじゃないっす。

映画の話に戻ります。

「オデッサの階段」

映画で有名なのが、実在する大きな階段で市民が次々と撃たれるシーンなんです。
「映画史上最も有名な6分間」と言われています。
その後このシーンをパロった映画は数知れず・・・とのこと。

夜に町を散歩して、階段にも行ってきました。
えっちらおっちら上から下、下から上へ。
一応オデッサに来たらここはおさえておかないと。
今回は夜しか時間がありませんでしたが、昼間だったら下のような眺めになります。

きっと上った瞬間、エイドリアーン!って叫びたくなります。


ちなみに、この映画はサイレント映画ですが、「モンタージュ法という手法を確立した」ことで映画史に残る作品としてあまりに有名なんだそうです。
マニアック過ぎてわからんわ。

このシモニフも映画見てみました。
無声映画というものを初めてみたけど、正直退屈感は否めない。
ハリウッド映画慣れしてる現代人には受け入れられにくいだろうなぁ、という印象っすね。単純に横並びで比べられるような性質ものじゃないんだろうけど。

階段のシーンも、「ん~微妙・・・」という感想。
言葉がないってのはやはり感情表現に乏しい。
訴えてくるものが無い。
ということで、みなさんは見なくていいです。

ところで、先日のキエフ、ドネプロペテロフスクに続いてまたウクライナに来ましたが、ロシアよりもなんとなく英語が通じやすい気がする。レストランやホテルの対応等々。

それから、女性がロシアよりもsmileyだ。
これは間違いないね。
“ニコッ” って笑ってくれただけで、なんか和んでしまうんだよねぇ・・・(でへっ)

いいよ、ウクライナ。

経済危機も天然ガス問題もその調子で乗り切るんだ。



2009年1月10日土曜日

床上手?

モスクワ寒いわ。
空港を降り立ったら-12℃。
冬将軍到来って感じかな。
3月になれば徐々にマイルドな気候になってくるので、あと2ヶ月は耐えるべし。

モスクワへの帰りのJAL便。
死亡でした。
気分が悪くて機中にて合計5,6回吐きまくり。
前日、会社の同期との飲み会があり、そこでちと飲み過ぎましたぁ。

銀座のホテルに泊まることになっていたのだけど、六本木から最後どうやってホテルに帰ったか記憶無し。
ホテルの風呂で眠ってしまったらしく、目が覚めたらバスの出発時刻30分前。
ギリギリセーフで空港に到着したものの、出発ゲートのベンチでひたすら眠りこける始末。
(前日セールで買った2本のネクタイをホテルに忘れてきてしまったし・・・)

機内でも寝ることができた時間以外は数十分おきに座席とトイレとをひたすら往復。
いつものわたくしの二日酔いのパターンだったので、これは毎度毎度辛いけど耐えるしかないと確信。
東京にいれば最悪病院に飛び込んで点滴注入で復活できるんだけど、空飛んでますから。

胃の中のものを全部吐き出して胃液しか出ない状態までくると、嘔吐もかなり体力を消耗するんだよね。
結構キツくてフラフラになってきてたから、なんとか横になりたかったのだけど、生憎この日の便はほぼ満員状態。

ダメもとでCAにお願いしてみたら、「床でしたら・・・大丈夫でございますぅ」
結局、恥ずかしながら一番後方のトイレ脇の床の上で寝ましたよ。

CAの人がすごくいい人で、寝るスペースを作ってくれたり、胃薬を用意してくれたり、色々と気を遣ってくれたのだけど、最後まで「飲み過ぎです」とは言えず。。。
恐縮です。

結局この眠りが功を奏し、回復。

モスクワ到着後、重いスーツケース2つを引きずりながらなんとか家に辿り着き、ふと着ていたダウンのポケットの中に異物を発見。

なぜか何かに押し潰れて無残な姿のチョコレートが。

聞けば、このブログで以前登場してもらったヨルダン在住の同期が前日の飲み会でくれたお土産のチョコだったらしい。

すまん!

ほんとに記憶がブッ飛んでしまったぁ。
そんなに飲んだつもりはなかったんだが。。。

ということで、日本で遊んで頂いた皆さん、ありがとうございました。

ロシアでの年明けは「床から」という、なんとなくどん底状態からのスタートですが、ここからは上昇するだけ、ということで。