2010年8月15日日曜日

煙のモスクワ

現在、オーストリアのウィーン国際空港にいます。
2週間弱の夏休みを終えて、今からモスクワに向かうところ。
今回は日本とオーストリアで過ごしました。
全日程を日本での婚活休暇に充てるのはさすがに不本意だったので(笑)、ヨーロッパのどこかを一人旅してモスクワに帰ってこようと。
なんということはない、これまで行ったことがなく日本との直行便が存在する国としてオーストリアを選んだだけで、特別興味があったわけではないのですがね。

ということで、ロシア・日本間の往復はどちらもウィーンを経由することになっていたのです。行きは直行も可能ですが、通常片道だと値段が高いからね。

ところが、8月4日にモスクワからウィーンに向かう際、トラブル発生。
フライトが2時間遅延し、ウィーン発成田行きを乗り過ごしてしまいました。
普通は次の日の同じ便を選択するところかもしれませんが、どうしてもその日のうちに欧州を離れたかったので、オーストリア航空のカウンターでネゴ。
すると、ドイツのフランクフルト経由で成田に行ける便があるとのことで、急遽そちらに変更して日本に帰国した次第。
モスクワ→ウィーン→フランク→成田とグルグル遠回りをしたので、ほとほと疲れ果てましたわ。
お陰で無事に初日の飲み会に間に合ったのは良かったけど。(笑)

今考えてみると、モスクワ発の便が遅れたのは例のスモッグが原因ではないかと思っています。そうしたアナウンスはなかったけど。
日本でも報道されていると思いますが、歴史的な猛暑の為ロシア全域で森林・泥炭地火災が発生しており、モスクワを含む火災地域の周辺が煙で覆われる事態となっています。
これは8月8日のモスクワの様子。
日本人が多く住むマンションの上層階から撮影したものです。

暑いだけで火災になるのかよ、と思うけど、実際にそうなっているみたい。
この火災による大気汚染の影響で、汚染物質の種類によっては基準値の10倍以上(もっとか?)にのぼる日もあるとか。
うちもそうですが、エアコンがない日本人家庭が多いのが現状。
暑いけど窓を開けられないということで、一時的にホテルへの退避を決めた日本企業も多く、また従業員に対してはマスクを配布するなどして対応しているようです。

たぶんロシアにいる間に寿命が5年くらい縮まってるんだろうなぁ。(笑)
では、今からウィーンを発ちます。無事に到着できますように。

2010年7月31日土曜日

JUDO

7月3日・4日にここモスクワで柔道ロシア国際大会「グランドスラムモスクワ2010」が開催されました。
男女合わせて25名の日本人選手が参加するということで、観戦に出かけました。
海外で生活していると、日本とか日本人というものを自然と意識するもので、このように日本の代表がロシアに来るようなイベントがあるとどうしても応援したくなるものなんです。
ちょっと前に世界卓球がモスクワで行われた時にも福原愛ちゃんを始めとした日本代表が来露したのですが、その時は都合がつかず見逃してしまったので、柔道はなんとしても観に行かなければ、と思って駆けつけた次第。

昔、柔道やっていた、なんてことは全くないので、柔道観戦は今回が初。
こんな感じでした。


柔道は日本が生んだ武道。
「イッポン」とか「マテ」とか審判も普通に日本語を使うことを再認識。
今や国際的なスポーツになったとは言え、柔道は日本の国技の一つでもあるわけで、日本人選手が他国の選手に負けるのを見るのは辛かったな。
勝つのが当たり前だと思いたいのだけど、実際はなかなか難しいんですね。

結局、男子は7階級のうち、優勝が1人、準優勝が2人、3位が1人。
女子は同じく7階級中、優勝が3人、準優勝が1人、3位が1人。
女子については好成績と言えるのではないでしょうか。
こちらの写真は女子78kg超級で優勝した塚田真希選手。(青い方)
有名だよね。五輪でも金メダル獲ってるし。

ロシアも頑張っていて、男子は優勝が2人、準優勝が1人、3位が1人。
女子は3位が1人。という成績でした。
CIS諸国からも多くの選手が出場していたので、ソ連時代から柔道が広く普及していたのだと感じられました。

「ロシアと柔道」と言われて、ぱっと思い浮かぶのはプーチン首相だという人も多いかも。
彼は少年時代から柔道を始め、現在の段位は五段というからかなりのもの。
プーチンと柔道の心」という著書も発表しており、「大切なことは全て柔道から学んだ」と発言する程で、柔道が彼の人物形成上とても大きな影響があったようです。

ロシアの格闘技と言えば、サンボ。
これは柔道、レスリングなどいくつかの格闘技の技術を取り入れて、誕生したものなんだそうです。
このシモニフもルールなどわかってませんが、こちらにサンボ留学している日本人と知り合いなので、今度一緒に大会を観戦しに行きたいと思ってるところ。

ちなみに人類最強と言われる、あのヒョ―ドルはサンボの使い手であると同時に柔道家でもあるんです。
が、先月アメリカでの大会で負けたんだってね。これはびっくりした。
総合格闘技界も新しい時代の到来でしょうか。

2010年7月25日日曜日

ジャールカ!

暑い!という意味のロシア語です。
日本でも報道されているように、今年のモスクワの夏、歴史的な猛暑となっています。

あの寒く暗く長い冬を越さなければならないロシア人は、夏の到来を毎年心待ちにしています。夏の暑い休日には川辺で水浴びをしたり、公園で日光浴をしたり、短い夏を大いに満喫する姿が見られます。

が、今年はちとやり過ぎのご様子。
あまりの暑さにビールやウォッカを飲んで川、湖、海などで水浴びをした結果、ロシア全土で水死者が続出。
6月で約1,200人、7月もおそらくそれに近い状態になるんじゃないかと。
今、たまたまスイスから知り合いが遊びに来ていて、昨日一緒にモスクワ川クルーズをしていたのですが、いましたいました、川遊びする人達。



酒飲んで溺れて亡くなるなんて、ほんとにロシア人らしいなと思うけど、そんなつまらないことで命を落としたら、死んでも死にきれないよね。

それにしても、ほんとに暑い。
写真は昨日車の温度計が38度を示すものですが、これ結局42度までいった。。。

東京はより湿度が高い分、不快な夏だとは思うけど、モスクワの最悪な点は冷房がないこと。さすがに、オフィスや商業施設はOKだけど、ロシアの一般家庭にエアコンはない。
シモニフ邸もそうで、1台の扇風機を全開にして耐え続けてます。
今年は数週間連続して30度超えの日々ですが、例年は20度後半がいいところなので、冷房無しでも過ごせるはずなんです。
今年はまじ辛いです。
朝起きたら汗びしょびしょです。

来月、休暇を取って東京に一時帰国する予定ですが、エアコン付の生活になるのは実にありがたい。一緒に一杯やる予定の方、店の在庫をなくす勢いで冷えたビールを飲みまくりましょう。

2010年6月15日火曜日

白夜のサンクト・ぺテルブルグ

先々週、ロシア第2の都市サンクト・ペテルブルグに行ってきました。
こちらのみんなに驚かれるんですが、ロシアに来てこれが初のサンクト訪問。

18世紀初めにロシア帝国のピョートル大帝が湿地であったこの地に人工の港湾都市サンクト・ペテルブルグを建設。それからロシア革命が起きるまでの約200年間はサンクトがロシアの首都でした。

ピョートルは西欧化を強力に推し進めたことで有名な人物。
政府組織、教育、都市の名称、芸術、建築などが西欧風に改められていったんです。
町を見渡すと建築物自体がヨーロッパ調であるだけでなく、町の中心を流れるネヴァ川とのマッチングが全体的にヨーロッパの都市を思わせるものが確かにある。


道路もモスクワのようにごちゃごちゃ入り組んだ作りになっておらず、運転がしやすそうだ。3泊したんですが、交通事故を1度しか見なかった。モスクワでは毎日必ず目にする程だけど。
観光名所が多く旅行客を受け入れる態勢がモスクワよりも整っている為か、地下鉄の駅や町の情報掲示板などにも英語表記があったので、これには正直驚いた。
日本人にとってはモスクワよりも住みやすそうな町だという印象を受けました。

いくつか写真をここに。

宮殿広場

世界に名だたるエルミタージュ美術館


血の上の教会

カザン聖堂



ピョートル像

イサク聖堂

他にも少し中心を離れてぺテルゴーフやツァールスコエ・セローへのエクスカーションに参加すれば帝政時代の宮殿群に出会える。
モスクワよりも観光ポイントが多いので、ロシアに旅行の際はモスクワだけでなくサンクトにも行くことをお勧めします。それよりモスクワ経由ヨーロッパに飛ぶ方がいいかもしれないけど。(笑)

サンクトの印象は全体的にとても良いものでしたが、これは季節が良かったというのが大きかったかも。
というのも、今は白夜シーズンで一日中明るいんです。
と言うと、全く暗くならないようにだけど、さすがに1時~4時くらいは暗かったです。
でも、上の写真は全て22時から23時の間に撮影したものだから、すごいよね。

この季節、23時くらいに出発するWhite Night Tourというのがあり、観光バスとクルーズ船で町の名所を案内してくれる。目玉はクルーズ船に乗って運河を進む途中で橋が真っ二つに分かれて開門するところ。

折角なので参加してみようと思い、いくつかのツアー会社の窓口に行ってみましたが、その日は英語のツアーがないとのことで断念。
次回、是非トライしてみよう。

余談ですが、サンクト滞在中、昼間はスケートリンクに出入りしていたのですが、そこでなんとあのフィギュアスケートのプルシェンコに遭遇。
しばらく間近で練習風景を見ることができました。
写真はなぜかアイスホッケーのスティックを持って子供を指導する姿。右から2番目です。

幼い頃から彼はそこで練習していたそうで、今でも毎日のように来るんだって。
そこでこんな写真も発見しました。赤い衣装の彼、すごく若いね。

さらに、日本人でロシア国籍を取得した川口悠子選手もペアの男性と一緒に練習していました。
日本人らしきやつが来ていることに気づいて、何度もこっちの方を見てきたから、話しかけてみようかと思ったんだけど、一応練習中だからやめときました。
彼女はメダルを期待されながらバンクーバーでは無念の4位。
14年のソチ五輪では彼女を含め、地元ロシア選手の奮起に期待でしょう。

PS 我らが本田のゴールでW杯初戦勝ったな!

2010年6月13日日曜日

ガイーとの攻防

もうすっかり昔の話ですが、例の往年のプレーヤー達によるテニスを観戦した後、車を運転しての帰宅中、後ろからパトカーに呼び止められました。
同乗していたロシア語が堪能な友人によると、その交通警察官(ガイー)は、ぼくが信号無視をして右折したと言っているらしい。
身に覚えがなかったんですが、確かに横のレーンの車は走り出していなかったなぁ。

警察と応対する時はいつも「ロシア語わからない」と英語で接していますが、この時もそう。
ロシア語ができない外国人に付き合っていても仕方ないからリリースしてやろう、と思わせる作戦です。
それがダメなら、賄賂を渡すのではなく法律に則った手続きを踏んで罰を受けてやろう。賄賂で解決するのが一般的なロシアでガイーが本当に正式なペナルティーを課すのかどうかを確かめてみたいと思ったんです。

とりあえず、車を降りて後ろに停車しているパトカーの助手席へ。
ロシア語でたたみかけてくるガイーに対して英語で「知らない」「わからない」と適当に対応。
どうやら彼はお金を要求するそぶりもなく、真面目に違反の切符を切ろうとしている様子。
そして、所定のフォーマットに免許証の個人情報を記入し始めた。
さらに、英語の話せる友人に電話をし、その彼を通じて「700ルーブルを警察署に支払いに来なければならない」と伝えてきたんです。

こんなガイーもいるんだ、と感心しながら、その通りやってみようと用紙が記入されるのを待ちました。
かなり多くの情報を書かなければならないようで、パトカーの中で暇だったわたくしは、ふと思いたち、車で待っている友人にパトカーの中から電話をして写真撮影を依頼。

どうでしょう。ガイーの横でほほ笑むシモニフ。

結局、最後に用紙への署名を求められたので書こうとした瞬間、署名欄の横にある日時が目に入りました。
どうやら警察署に出向いて罰金を払う時間帯が記されているようだったので、「この時間は働いてるからいけない。無理です。」など色々言ってみました。
実際、ちょうどはずせない会議が入っていたんです。

「この時間に来なさい。」
「いや行けない。」
「来なければいけない。」
「無理だって。働かないといけないもん。」
というようなやり取りを繰り返しまくり、最後の最後になってそのガイーが、
「わかった。もう行け!」
と言って、リリースされることになりました。(笑)
30分間程のガイーとの接触の果てに、700ルーブルを踏み倒したわけです。(笑)
珍しく真面目なガイーだったのに、ちょっとかわいそうだったかな。

そんなことがある一方で、失敗談もあるのです。
一か月程前、一方通行の小道を逆走してしまい、運悪くガイーに捕獲されてしまいました。
この違反は免許停止6か月のペナルティーを科せられるらしく、免許証も取られて携帯できなくなる。
わざわざご丁寧に交通法の冊子みたいなものを見せながら説明してきたガイー。
始めに免許を手渡していたので、なんとか取り戻さないといけない。
英語で何分間も「それは困る。なんとか免許を返してくれ。」と言ってはいましたが、これは金を渡してリリースしてもらうしかないなと思っていました。

すると、むこうから「Dealだ」と切り出してきた。
その英単語だけは知ってるのかよ。(笑)
と思いつつも、仕方なく値段交渉に入る。
初っ端に「10,000ルーブルだ(≒32,000円)」とほざいてきたので、ふざけんなと思い、2,000しか持っていないときっぱり宣言。 実際その時は15,000ルーブル程持っていたけど。
それじゃ話にならない、というそぶりのガイー。
「2,000しかないからそれ以上払わない」の一点張りで数分後に納得させた。
本当は1,000くらいにしたかったのだけど、あまりに低くてむこうが逆ギレしても困るからと思ってね。まあ仕方ない。

今、日本の免許証とその翻訳証明で運転しているのですが、国際免許証で運転することも可能。去年まではそれも携帯していたのだけど、正月休みで日本に帰国した際に新しいものを取得し忘れてしまって。
ダブルで持っていたら、国際免許証を渡してしまっていても、ガイーに対して強気に交渉できるなと今回思いました。別に持っていかれてもいいし。

ま、そんなわけで、こんなガイーと戦いも生活の一部になりつつあるシモニフです。

ガイーの不正絡みでは、こんなおもしろニュースもあります。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2708082/5472254
また、2008年のデータですが、世界の賄賂指数ではロシアが最悪となっているというニュースも。
http://news.livedoor.com/article/detail/3953675/

政府は汚職の取り締まりを優先事項に挙げているし、昔から生活している日本人の方に言わせると、徐々にましになっていると言いますが、何といってもロシアですからねぇ。
まだまだ、先進国とは程遠い世界です。

2010年5月11日火曜日

Victory Day 2010

一年のうちロシアで最も盛り上がる日が戦勝記念日の5月9日です。
二年前から軍事パレードが復活したのですが、終戦65年を迎えた今年はアメリカ、イギリス、フランスの軍隊もNATO加盟国として初参加したという意味不明なことも起こっています。写真はイギリス軍が行進する様子です。

式典にはドイルのメルケル首相や中国の胡錦涛国家主席などの各国首脳も数多く参加。
世界平和をみなで祈念するというよりは、単に世界の勢力図の中でロシアの存在感が増しているという印象です。

この日が誕生日のシモニフ、前日の飲み会の激闘で疲れ果て、11時頃上空を通り過ぎる戦闘機の爆音で目が覚めた。
この軍事パレードを見学に行ってみたいと毎年思うのですが、過激なナショナリストに暴行される可能性を捨てきれずいつもおとなしくしているのです。


そして、夜は先輩の家で酒盛りをするという三年連続変わらぬ過ごし方。
先日、カザフ訪問時に購入したキャビアをみんなで食べるというのが今年のメインイベントであったのです。
これです。

チョウザメの卵であるキャビアは世界三大珍味の一つで、カスピ海でとれるものが非常に有名。
これはカザフのアルマティ空港内にあるDUTY FREEにて購入。
たったの56gですが、約1万円します。
かつての乱獲によってチョウザメが激減した為、キャビアは実に高価なものになっています。
お土産に買っていくよ、と軽く言えるようなものではなくなってしまいました。
特に今回買ったベルーガという種類のチョウザメからとれるキャビアが最も希少価値が高いらしい。
モスクワのスーパーで今回買ったものと同じ量を買うには、ものによっては倍のお金が必要。

期待に胸ふくらませ、スプーンですくってそのまま口へ。

しょっぱい。
海苔っぽくない?(笑)
という感じで、期待が大きすぎた為か、まったく感動のないキャビア体験となってしまいました。
ちょっとレベルの低いキャビアを購入してしまったのかも。

というわけで、キャビアはいまひとつでしたが、奥様の手料理と毎年恒例の花火は今年も最高でした。

ちなみにロシアでは5月9日のVictory Dayに生まれた男は、ヴィクトル(Viktor)と名付けられるらしい。
ヴィクトル・シモニフとして勝ち組目指していきますわ。

2010年5月1日土曜日

メタル

ハード・ロック/へヴィ・メタルというと、もはや時代遅れのダサい音楽であると誰もが感じることでしょう。
しかしながら、80年代・90年代の古き良き時代にはビルボードのチャートを大いに賑わしたメインストリームであり、その時代を知る人間を今もアツくさせる刺激的な音楽だと思います。
ぼくもそんな人間の一人として、最近はこちらの仲間とメタル談議で盛り上がり、ライブに行きまくるようになっています。

3月18日 Scorpions


4月18日 Gary Moore

4月22日 Yngwie Malmsteen

4月25日 Metallica

という具合で、最後の3つについては8日間に集中しているという自分でも信じられないメタルっぷりです。
高校卒業後はほとんどこの世界から離れていた為、古い曲しか反応できませんが、どれも強く印象に残る素晴らしい公演でした。

そんな中で、スコーピオンズの話を取り上げてみたく。
スコーピオンズは1972年デビューという超ベテランのドイツの大御所バンドです。
彼らはロシアの親善大使となっていて、年に一度は必ずモスクワにやってくる程、絶大な人気を誇っています。
なぜかというと、“Wind of Change”という曲の影響がすごく大きいからなんです。

1990年にリリースされた14作目のアルバムに含まれたこの曲。
なんと、ロシアをテーマにしているんです。
I follow the Moskva
Down to Gorky Park
と歌詞には実際の地名も飛び出し、ソ連崩壊からドイツ統一を感動的に歌い上げています。
PVにはゴルバチョフ書記長の姿も見える。

冷戦終結、ベルリンの壁崩壊という激動の時代にあって、彼らが全世界に発信した平和祈念のメッセージソングだと理解しています。
これは、メタルの枠を超えた永遠の名曲だと思う。

さらに、スコーピオンズは88年にペレストロイカ最中のサンクト・ペテルブルクでコンサートを行っただけでなく、今や伝説のイベントと言われている翌89年のMoscow Music Peace Festivalにも参加しており、ロシアとの関わりは実に深い。ちなみにこのイベントには彼らの他にもBon Jovi, Motley Crue, Ozzy Osbourneなどの超大物が出演しています。

彼らのコンサート会場を見渡せば、10代と思しき若者もいれば孫がいそうなおばちゃんまで様々。
ロシア人のスコーピオンズ愛と、スコーピオンズのロシア愛を感じ、大いに盛り上がることができる最高のショーだった。

スパシーバ、モスコー!!
と叫ぶボーカルのクラウス・マイネの姿が今も目に焼き付いています。

そんなスコーピオンズですが、今年1月、今回のワールド・ツアー後に解散することを発表。
ただ、ツアーはover the next few yearsと公式ウェブサイトにあるので、きっとあと1,2回はモスクワに来てくれると信じてる。
次回も必ず観に行ってみたいと思っています。
ロシアではこの種の音楽の人気がそれなりに高いのか、結構レアなバンドもやってきます。ヨーロッパのバンドは距離的にも近いしね。

これで一息ついたメタル公演ですが、なんと来月このシモニフが世界で最も愛するバンド、GUNS N’ ROSESの来露が決定しています。

そんな嬉しいニュースが飛び込んできたのと時を同じくして、先日カザフスタン訪問時にバンド名そのままのレストランを見つけました。もちろんバンドに無許可でしょうが。。。