2009年1月31日土曜日

モスクワの治安

先日、日本大使館からかなり怖いお知らせが。

ここ1ヶ月の間に、モスクワにおいて民族的偏見に基づくと思われる非スラブ系人種に対する襲撃事件が頻発していると。

そのまま引用すると、

① 12月14日(カザフスタン人留学生・18歳男性):バス停で何者かに刺され、病院への搬送途中に死亡。
② 1月3日(韓国人留学生・女性2名):大学学生寮付近で、見知らぬ者から揮発物(液体)をかけられた後、火をつけられた。1名は頭部・背中に重度の火傷、1名は軽い火傷を負った。
③ 1月8日(中国人留学生・2名):路上で見知らぬ数名から襲撃を受け刺され負傷。
④ 1月9日(ベトナム人留学生・20歳男性):駅付近で胸と胃を刺された状態で発見され、搬送先の病院で死亡。
⑤ 1月10日(カメルーン人・28歳男性):路上で3人組から襲撃を受け刺され、搬送先の病院で死亡。
⑥ 1月11日(カルムイキア共和国出身・16歳学生):路上で3人組に襲撃され重傷を負った。
⑦ 1月11日(タジキスタン人・2名):路上で若者グループに刺され重傷を負った。

液体攻撃とかやめてよ、ほんとに。
ナイフも反則でしょ。

でも、日本人の被害例はないじゃん。
と見せかけて、
11日には大使館職員が5,6人の集団に襲われ重傷を負っていて、これは日本の新聞にも載ったはず。

普段、公共交通機関を利用しないので、被害に遭う可能性が低いとは言え、物騒な世の中になってきたのだなあ、と理解して行動しないといかんね。

写真は同僚のロシア人と一緒に地下鉄を利用した際に撮った駅のプラットフォームの様子。
普段地下鉄を利用する邦人のお友達も、夜間の乗車は避けた方がいいと言ってます。

モスクワ市内務総局は、「警察への緊急通報は、最近英語のオペレーターによる応答サービスを開始したばかりでなく、通報を受けて出動した警察官には通報から3時間以内にどのように対処したかを報告することが義務付けられているので、何かあれば躊躇することなく通報をしてほしい。」としていますが、悪徳警官だらけの警察がそこまで対応できるかどうか。。。

最近のこの治安悪化は、不景気の影響があると言われています。

世界的な景気悪化はここロシアも例外ではなく、昨年途中までのイケイケムードはなくなってきました。
町を見回す限りは、消費が冷え込んだとか物価が急変したとかあまり感じられないけれど、経済指標や企業業績にはしっかり表れ始めています。

クビにされたり、減給されたり、会社がつぶれたり。。。
はけ口としての行動がこのような襲撃や窃盗・強盗になってしまうというのは、ロシアだけではないのかもしれないけど。

自分の身は自分で守るべく、サンボ教室に通いたい最近のシモニフです。

2009年1月18日日曜日

『戦艦ポチョムキン』

って映画知ってます?
1905年に起こったポチョムキン号の反乱を題材にしたソ連映画です。(1925年作)

1917年のロシア革命で崩壊する帝政ロシアですが、1905年から本格的な反乱がロシア国内で勃発しており、このポチョムキン事件もその一つ。
この年に各地で起きた革命は都市部と農村部とで発生時期がバラバラだったから、とか、軍が基本的にツァーリ(帝政時代の君主)に忠実だったから、との理由で結局失敗に終わりますが、17年への影響は少なからずあったんでしょう。
映画はロシア革命への先導者として反乱を起こした水兵達を称える内容になっています。

なんでこんな話をしてるかというと、先週ちらっとウクライナの港町オデッサに行ってきたんですが、この映画の舞台がオデッサなんですわ。

雰囲気伝わりづらいと思うけど町はこんな感じ。
中心部は石畳の道路でなかなか雰囲気いいですよ。
実は数年前に仕事でオデッサに来たことがあったので、町を歩くうちに前回泊まったホテルの場所や港の桟橋の記憶がフラッシュバックして蘇ってきて、すごく懐かしかった。
でも、ずっと外にいたから寒くて仕方なかったな。
ビーチもあって夏はリゾート地として混雑しますが、今の時期は寒くて正直観光どころじゃないっす。

映画の話に戻ります。

「オデッサの階段」

映画で有名なのが、実在する大きな階段で市民が次々と撃たれるシーンなんです。
「映画史上最も有名な6分間」と言われています。
その後このシーンをパロった映画は数知れず・・・とのこと。

夜に町を散歩して、階段にも行ってきました。
えっちらおっちら上から下、下から上へ。
一応オデッサに来たらここはおさえておかないと。
今回は夜しか時間がありませんでしたが、昼間だったら下のような眺めになります。

きっと上った瞬間、エイドリアーン!って叫びたくなります。


ちなみに、この映画はサイレント映画ですが、「モンタージュ法という手法を確立した」ことで映画史に残る作品としてあまりに有名なんだそうです。
マニアック過ぎてわからんわ。

このシモニフも映画見てみました。
無声映画というものを初めてみたけど、正直退屈感は否めない。
ハリウッド映画慣れしてる現代人には受け入れられにくいだろうなぁ、という印象っすね。単純に横並びで比べられるような性質ものじゃないんだろうけど。

階段のシーンも、「ん~微妙・・・」という感想。
言葉がないってのはやはり感情表現に乏しい。
訴えてくるものが無い。
ということで、みなさんは見なくていいです。

ところで、先日のキエフ、ドネプロペテロフスクに続いてまたウクライナに来ましたが、ロシアよりもなんとなく英語が通じやすい気がする。レストランやホテルの対応等々。

それから、女性がロシアよりもsmileyだ。
これは間違いないね。
“ニコッ” って笑ってくれただけで、なんか和んでしまうんだよねぇ・・・(でへっ)

いいよ、ウクライナ。

経済危機も天然ガス問題もその調子で乗り切るんだ。



2009年1月10日土曜日

床上手?

モスクワ寒いわ。
空港を降り立ったら-12℃。
冬将軍到来って感じかな。
3月になれば徐々にマイルドな気候になってくるので、あと2ヶ月は耐えるべし。

モスクワへの帰りのJAL便。
死亡でした。
気分が悪くて機中にて合計5,6回吐きまくり。
前日、会社の同期との飲み会があり、そこでちと飲み過ぎましたぁ。

銀座のホテルに泊まることになっていたのだけど、六本木から最後どうやってホテルに帰ったか記憶無し。
ホテルの風呂で眠ってしまったらしく、目が覚めたらバスの出発時刻30分前。
ギリギリセーフで空港に到着したものの、出発ゲートのベンチでひたすら眠りこける始末。
(前日セールで買った2本のネクタイをホテルに忘れてきてしまったし・・・)

機内でも寝ることができた時間以外は数十分おきに座席とトイレとをひたすら往復。
いつものわたくしの二日酔いのパターンだったので、これは毎度毎度辛いけど耐えるしかないと確信。
東京にいれば最悪病院に飛び込んで点滴注入で復活できるんだけど、空飛んでますから。

胃の中のものを全部吐き出して胃液しか出ない状態までくると、嘔吐もかなり体力を消耗するんだよね。
結構キツくてフラフラになってきてたから、なんとか横になりたかったのだけど、生憎この日の便はほぼ満員状態。

ダメもとでCAにお願いしてみたら、「床でしたら・・・大丈夫でございますぅ」
結局、恥ずかしながら一番後方のトイレ脇の床の上で寝ましたよ。

CAの人がすごくいい人で、寝るスペースを作ってくれたり、胃薬を用意してくれたり、色々と気を遣ってくれたのだけど、最後まで「飲み過ぎです」とは言えず。。。
恐縮です。

結局この眠りが功を奏し、回復。

モスクワ到着後、重いスーツケース2つを引きずりながらなんとか家に辿り着き、ふと着ていたダウンのポケットの中に異物を発見。

なぜか何かに押し潰れて無残な姿のチョコレートが。

聞けば、このブログで以前登場してもらったヨルダン在住の同期が前日の飲み会でくれたお土産のチョコだったらしい。

すまん!

ほんとに記憶がブッ飛んでしまったぁ。
そんなに飲んだつもりはなかったんだが。。。

ということで、日本で遊んで頂いた皆さん、ありがとうございました。

ロシアでの年明けは「床から」という、なんとなくどん底状態からのスタートですが、ここからは上昇するだけ、ということで。